全日大阪 広報メディア

私の不動産独立ストーリー

ギャンブルで学んだ攻め時・引き際|松原 佳代子さん

2023年3月28日

全日本不動産協会 大阪府本部 大阪東支部
三和住宅流通株式会社 代表取締役
松原 佳代子さん

建築士を目指しつつギャンブルに勤しむ

私のこれまでを話す上でギャンブルの話は外せません。今も競馬、パチンコ、FXと趣味に勤しんでいるわけですが・・・ツイてる波に乗り攻める、引き際を見定める、ギャンブルで学んだことは、不動産の売買にも通じていると思っています。

とはいえ最初は不動産の仕事を目指していたわけではありませんでした。20代の頃は工務店の事務員として働いていました。当時はまだ斬新だった3DCADを使った図面作成業務に就いていました。9時〜17時で仕事を終わらせ、夜は日建学園に通って2級建築士を目指していました。そして休日はパチンコ屋とウインズ梅田に通い、「敗北感」を味わう毎日でした(笑)

不動産の仕事に踏み出したのは、勤務していた工務店の取引先だった不動産屋さんに「不動産の営業してみたらどうか」と誘われたことがキッカケでした。女性の営業は当たりもよく良いのではと。そこまで営業に自信があったわけではなかったのですが、固定給よりも努力次第で報酬(歩合)が受け取れること、これが非常に魅力的でした。

ギャンブルの負け分を取り戻すため不動産営業へ

なぜならこの時、ギャンブルで借金がありましたで(笑)歩合報酬で負け分を取り返せるぞ!と(笑)そこから不動産営業に従事するわけですが、工務店が売り主だったことから、物件の知識があったので営業マンへの転身は意外にも簡単でしたね。当時の給与体系は最初の3ヶ月が固定給の15万円、3ヶ月後からフルコミッション35%というものでした。最初は先輩に横取りされたりなかなか苦労もしましたが、慣れた頃には年収1,000万円を超えていました。

女性の営業は私1人だったのですが、段々と仕事の成果が出て、年収も上がり、会社からも期待してもらえるようになりました。でも今振り返ってみると、勘違いしていたかもしれません。「私が家を売ってやっているんだ」と。でも会社の看板と宣伝、売らせてもらえる物件数で営業マンが稼げる環境が出来上がっていたことに当時は気付きませんでした。

勘違いが生んだ自信

でもこの勘違いを含めた自信があり、30代半ばには独立しようとこの頃考え始めました。その後、もう1社修行として軍隊のように厳しい不動産会社で3年勤務した後、36歳で独立しました。貯金400万円、借金150万円、保証協会からの借入700万円とマイナスからのスタートでしたね。仲介をメインに業務を開始、2年を過ぎた頃から銀行借入ができるようになりました。

ここからは私の本領発揮です。攻め時、引き際を見定めながら、借入できる範囲内で建売を開始、リスクを恐れず何でも買いました。損切りもしながら、大きな利益が残る一撃必殺のような仕事もし、という具合です。事業はキッチリこなしますが、役員報酬は全てFXと競馬に投入する毎日です(笑)

ギャンブル好きな私には、不動産の仕事が気質的に合っていたのかもしれませんね。今から独立したいと思っている若い方!リスクを恐れてビビって逃げていては、物件も転機もやってきませんよ!

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