全日大阪 広報メディア

私の不動産独立ストーリー

コロナに感染して決めた独立|朝比奈 修平さん

2023年7月11日

全日本不動産協会 大阪府本部 大阪南支部
ホヌパートナーズ株式会社 代表取締役
朝比奈 修平さん

稼ぎを求めて不動産の世界へ

私はこれまで15年ほど不動産業界で仕事をしてきて、昨年独立しました。独立するまではマンション販売、賃貸マンションの営業、新築戸建の販売、中古マンションの販売、収益物件の売買と管理、店舗仲介など、大規模開発以外は一通り経験しました。

元々、不動産に興味は全く無くて学校を卒業した後は自動車販売の会社に就職しました。その後にカー用品販売の会社でも働きました。今もそうなんですが、当時から車とかバイクが大好きだったので。でもカー用品販売の会社で働いていたある日、入社10年目の先輩の手取りが、自分と2、3万円くらいしか変わらないことを知りまして。「この仕事を続けるのは無理だな」と思ったんです。

それで22歳の頃に求人募集から応募して、不動産の世界に飛び込みました。20年前だと稼げる職種といえば「不動産」「生命保険」「金融証券」の営業しか稼げる職種がなく、一番身近に感じた不動産業界に飛び込んで、そこから2、3年に1社くらいのペースで色々な不動産会社で勉強しました。

キッカケはコロナ感染

独立するキッカケはコロナに罹ったことですね。妻が先に罹り私に感染ったという流れだったんですが、私は2週間近く40度以上の熱が続きましてこれは本気でマズいと思い、妻に保健所に連絡してもらって救急車の手配をお願いしたんです。

でも約3年前のデルタ株が蔓延していた時期だったので保健所の業務が逼迫していて、まず電話がなかなかつながらないし、保健所につながって状況を話したのですが、酸素濃度が下がってなかったので「入院できません」「救急車も行けません」「そもそも行ける救急車もありません」みたいな返事でした。

この時に人生で初めて死ぬと思いました。

幸いにも往診に来ていただいていた先生がいたのですが、薬の服用や点滴を打ち続けても症状が全く改善しなかったので、改めて先生が直接保健所に連絡を入れてくれて、そこでとうとう保健所から入院の許可が下りました。それでその日に救急車も手配ができやっと入院できたんです。結局、重症の手前の中等症2というステージまで進んでいて精密検査をすると肺炎に罹っていました。

やりたい事をやらないと人生もったいない

入院は4日間だけだったのですが、2週間で体重が5キロ落ちて会社も1か月近く休みました。自分がコロナに罹ると思っていなかったですし、ここまでひどくなるなんて想像もしていませんでした。本当に死ぬと思いましたし、死にたいと思うくらい人生で一番きつかった体験でしたね。

最初の独立を決めた理由に戻るのですが、コロナをきっかけに「人っていつ死んでもおかしくないな」と思ったんです。そう考えると好きな事や、自分のやりたい事を本気でやらないと人生もったいないしもっと自由に生きたいなと思い始め独立を考え出しました。

今まで起業するなんて思ってもみなかったので、強烈な体験で人の考えがこうも変わるものなんだなと自分でも不思議な気持ちでした。一度決めてしまうとそれをやらないと気がすまない性格なので、コロナに感染したのが8月だったのですが、年内に独立しようと決断し、翌年2月に退職後すぐに法人を設立して4月に開業しました。

勢いのままに独立してしまいましたが、今まで取引した不動産会社やお客様のご縁で自分が想定していた以上に会社も順調にきています。独立を少しでも考えている人がいれば、一度の人生なので是非チャレンジしてほしいですね。

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