全日本不動産協会 大阪府本部 北支部
株式会社ヒトツボ 代表取締役
明神 永一郎さん
音楽で食べるために地元を出て大阪に
音楽でご飯が食べたいと思い、地元の高知から19歳で大阪に出てきました。当時は阪神淡路大震災の直後で、私は荷揚げの現場仕事をしながらバンドをするという生活でした。結局、音楽は22歳でやめちゃったんですけどね。
音楽をやめた理由に、22歳で結婚したこともあるんですが、もう1つは当時の会社の上司がカッコよく見えたんですよね。ちゃんと仕事して世帯をもってと。そう生きたいなと思いました。
向いていなかったサラリーマン生活
それでサラリーマン生活がはじまりました。結局独立するまでに4社経験しました。どれも不動産に関係なくて、事務用品、電気関係、カラオケ会社の社員、印刷会社とバラバラでしたね。職種は全て営業でした。結果的に4社で働いて実感したのはサラリーマン向いてないなと(笑)
そんな流れで結局34か35歳で独立したんですが、最初は自動販売機の営業代行からスタートしました。ビルオーナーさんや地主さんに飛び込み営業して自動販売機を置いてもらうという内容でしたね。
「さすがに自分でやらないと…」宅建を取得
独立した後、段々と地主さんやビルオーナーさんとつながりが出てくる中で、今度は「コインパーキングを作ってほしい」みたいな不動産関係の相談がくるようになったんです。普通はここで「じゃあ不動産事業も始めるか」となりそうなものですが、不動産会社を紹介してばかりでしたね。
当時は「不動産って敷居が高い」と感じていたんですよね。しかし、どんどん不動産の相談も増えていったので「さすがに自分も勉強してやらないといけないな」と思い、2018年に宅建を取得して開業しました。コロナで自販機事業の売上も3分の1くらいになってったこともあり、今では不動産事業が中心になっています。
振り返ると「不動産事業は全然、敷居高くなかったな」と思うのですが(笑)大阪兵庫だけで約1,500万人いますから、それだけ住宅のニーズもありますしね。こんな挫折の多い私でもできたんだから、若い人、これから独立を目指す人には、何でも挑戦してほしいと思いますね。