全日大阪 広報メディア

私の不動産独立ストーリー

子供をおぶって皿洗いバイトから不動産で独立|吉田 美千代さん

2023年4月5日

全日本不動産協会 大阪府本部 中央支部
株式会社エム・プランニング・ホーム 代表取締役
吉田 美千代さん

子育てしながら懸命に生活

私は大阪の大正で生まれまして、そこから育ったのも今住んでいるのも、会社もずっと大正です。商業高校を卒業、19歳で出産し、21歳で離婚、シングルマザーになり、今から19年前、38歳の時に独立しました。離婚した当時は就職するのも藁をもつかむ思いでしたから、まさかそこから独立まで至るとは微塵も思っていませんでしたね(笑)

離婚した時は子供がまだ2歳でしたし、それより前は子供をおぶって中華料理屋さんで皿洗いのバイトをしていました。当時はお金もなかったですから、風呂なし、給湯器なし、家賃2万3千円のアパートに住んでいました。そんな生活でしたから「家から近い場所で、子供を保育所に預けながら働けるところはないか」と探していたところ、知人から「いい社長やで」と紹介を受けて、地元の建築・不動産会社に入社することになりました。

不動産の良い時も悪い時も経験

入社した会社は、建築と不動産をやっている会社でした。建築がメインで、その流れで不動産事業も行っているという会社、私は事務員として働いていました。当時はバブルの真っただ中でしたから夢がありましたよね。同じ日に不動産を買って売れば儲かる時代でしたから。今考えれば異常ですよね(笑)

そんな環境でしたから、仕事も多くて大変でした。でも色々な仕事ができて勉強になりましたね。楽しかったですよ。子供を託児所に迎えに行って、夜10時〜11時くらいから、手書きで見積書を作るなんてこともよくありましたけど、今振り返ればその経験が糧になったと思います。

でもバブルが崩壊して、しばらくは苦しい時期でもあったと思います。バブル崩壊を乗り越えて数年後、不良債権処理をしなければという社会の流れもあり、2003年頃に従業員を減らして社長1人でやっていこうということになりました。私は経理もしていましたから「従業員を雇っているのも大変な状況なんだろうな」と理解できる状況ではありました。

勤務先の縮小から成り行きで独立

会社を縮小するとなると、既存のお客様をどうするかということになりまして。さすがに放置する訳にもいかないですし、それならば、という流れで、私が不動産のお客様を引き継いで独立することになりました。まぁ成り行きですね。

独立後、銀行に相談したら運良く融資してもらえることになり、不動産物件を2−3件買えることになりました。それによって、賃貸収入が入ってくることが決まったので「これなら自分の給料くらいは稼げるし、なんとかなるかもしれないな」と思ったことを覚えています。そこからなんとかやってきて、結局19年が経ちました。時の流れは早いですね(笑)息子も38歳ですから。

独立した19年前は「30代の女性がなぜ不動産業界に?」「ほんまにできるんかいな?」と平気で聞かれる時代で、嫌な思いもたくさんしました。現在でもまだ女性の独立は少ないですけれど、増えるように応援したいですね。昨年8月から弊社に新しい事務員さんが来てくれたんですが、その方が息子と同い年くらいで、不動産の勉強を始めているんですよね。そのうち私と同じように独立するかもしれないし、頑張ってほしいなと思っています。

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