全日本不動産協会 大阪府本部 なにわ南支部
株式会社みつけ家 代表取締役
小池 雅則さん
海外で始まった職歴
私が学生の頃に、母が日本からアメリカに移住しまして。一旦私は日本で学校を卒業したんですけども、19歳で私もアメリカに移住して母と生活をし始めました。貿易関係の仕事をしていたんですが、母からの勧めもあり、アメリカの短大を経由しカリフォルニア州立大学に編入、27歳で卒業しました。専攻は貿易・マーケティングでしたね。勉強しながら、当時自分でアンティークの車を現地でレストレーションして、日本で流行する車をLAから輸出していました。
卒業後は台湾の商社に入社。私は主に蘭の花の栽培事業を行っていました。でも当時のルームメイトに「お前の専攻と違うだろ、違う仕事をしろ」と言われまして、転職することに。次も台湾の商社でしたが、中国に住みながら半導体のシリコンセールスの業務に就きました。1社目の商社を辞めた時点で、将来独立しようと思っていたんです。商社というのは、「1個人が商社、事業体」のような独立独歩的な考え方がありますから。
ただ、中国で営業をしていると、お酒飲むのが仕事になってくるんですね。文化として酒を酌み交わすことで相手を見定めたり信頼を作ったりしますから、とにかくものすごい量飲むわけですよ。でもその影響で私は体調を崩しまして、独立云々は一旦横において、日本に帰ることにしました。
また海外へ、カンボジアで不動産業に出会う
30代前半で日本に帰国、母の貿易事業を手伝うことにしました。それでまた日本を飛び出してカンボジアに行きまして、現地の役人と関係を築いていきました。そうすると外国人でも保有できる土地の情報や開発予定計画、特区の情報を教えてもらえるわけですね。当時、現地に日本人も多くはないですが来ていたので、これは商売になるなと。それでカンボジアで土地を触り始めました。現地で不動産業の店舗を展開しようかな、なんて考えていました。
ですが、母に「日本に帰ってこい」とかなり怒られまして(笑)なぜかというと、当時のカンボジアはポルポト政権後でかなり荒れた状態だったんですね。土地を買ったとしても政局がいつどうなるかもわからないですし、なにより環境が悪すぎて住み続けられないだろうと。「まぁ、確かにな」という納得感もあり(笑)なにより不動産業やるなら日本でやればいいかと思い直して、また日本に帰国しました。
独立に向けて人と違うスキルを積み上げる
日本に帰ってきて、不動産業の勉強をするために不動産会社に入社しました。本当は売買の勉強をしたかったのですが、賃貸事業からはじめました。ある程度仕事を覚えて来た時に、自分の強みを考えたんですね。英語・中国語が話せる以外に強みといえるスキルはあるかなと。そう考えるとまだ独立していくには弱いなと思いました。
それで今度は不動産売買ができる不動産会社に転職、そこから数社不動産会社を経験して、最後は電気工事士として修行させて頂きました。これでやっと、語学に加え、不動産業務のスキル・電気工事などのスキルが身についたなと自信もついたので、今から7年前、43歳で独立しました。今は、なんばで外国人客を中心に、他社では対応できない客層を抱え差別化できていますね。