全日本不動産協会 大阪府本部 なにわ南支部
エスオーエスハウジング有限会社 取締役
大内 進さん
中学生で独立を決める
中学生の時点で組織になじめないことに自覚があったので、将来は独立して社長になろうと思っていました。職人や技術職を志さなかったのは、中学の時点で、大工やバイクの整備など色々バイトをしていたので、自分の向き不向きがある程度分かっていたんです。それと中学の恩師に「ブルーワーカーは年齢を重ねると働くのが辛くなるぞ」と言われたのが大きかったと思いますね。
高校を卒業した後は、スバルの整備士になって1年半くらい働いたかと思います。その後バイク屋さんに転職して3年くらい働きました。当時はバイクブームだったんですよ。私と親方の2人会社でしたけど、今では信じられないくらいの台数が毎日売れましたよね。あとは、この頃から昼の仕事と並行して、夜も北新地で黒服したり、飲食店で働いたりと昼夜問わず働く生活をしていましたね。ほんとに睡眠時間を削っていましたから、おかげで今でもショートスリーパーなんです(笑)
飲食店の開業資金を貯めるため不動産の世界へ
それでいよいよ独立しようと思い、バイク屋を開業しようと考えていました。それでスズキやヤマハの特約店の許可を取りに行って話していたんですけども、実は、この頃にはもうバイクブームが去っていまして(笑)それでいて経営していく資金がたくさんあるわけじゃない。じゃあどうしようと。その頃、飲食店も経営してみたいなと思っていたので、じゃあ飲食店の開業に向けて修行をしようと思って、飲食店でバイトし始めました。
意欲的に働いていたので、割とすぐにバイトから店長に出世しまして(笑)しかしまぁ長時間労働で給料が安かったので、独立のためのお金が貯まらないんですよ。その頃も飲食店と並行して、いくつか仕事をかけもちしていたのですが、北新地の黒服として働いている時に、来店されていた不動産会社の社長に誘われたんです。
独立の軍資金も貯められそうだしいいなと思って、不動産会社に就職してみたら、これが結構面白い。仕事は賃貸の仲介だったのですが、3日目で契約がとれて、入社3ヶ月で営業トップになりました。かなり売上をあげることができました。

夢の順番を変える決断
仲介から始まり、フルコミの建売、土地売買とか不動産会社を3〜4社経験しました。稼いだお金の半分は独立資金として貯金しようと決めて、ある程度貯金ができたのでその流れで独立しました。まぁ最後勤めていた会社が倒産したのもあって、独立のタイミングかなという感じでした。
それで今から25年前、29歳で独立しました。当初考えていた飲食店ではなく不動産で独立したんです。飲食店は長時間労働がベースなので自由な時間が少ないという実感がありましたから。じゃあ不動産で稼いだお金で、飲食店を出店してもいいし元々やりたかったバイク屋を始めてもいいなと考え直しました。夢の順番を変えた感じですね。だから、弊社の定款の事業内容には、いつでも始められるように飲食業もバイクの販売業もまだ記載していますよ。