全日本不動産協会 大阪府本部 中央支部
株式会社エステート英 代表取締役
平石 昌孝さん
母の影響で不動産業界へ
私の母は、不動産会社を1人で創業し40年近く経営しているので、その姿を見て私も不動産業界に入りました。母の会社を時期がきたら継がないといけないんだろうな、くらいに思っていたので、独立とか特に考えてなかったんですよね。
それで23歳で入社したのが、マンションの販売代理事業を行っていたセイクレスト社でした。報道も出ているのでご存じの方も多いかとは思うのですが、セイクレストは上場企業だったんですが後に倒産しています。
入社当時は、まだ従業員も20名しかいなくて中小企業といった雰囲気でした。ある時、社長が上場すると言い出し、そこから準備して10年でジャスダックに上場しました。私は38歳で執行役員になり、当時は近畿エリアを統括していましたね。近畿だけで従業員は100名くらいいました。合計16年勤務して、39歳で退職することになります。
難しい案件を次々に処理し自信を深める
最初に言った通り、元々、辞めて独立する気はなかったんですけども、一度だけセイクレストを退職しようと思っていた時はあります。当時、ある案件でトラブルが起きまして。同僚が販売代理を受けていたマンションのポスティングチラシをコンビニのゴミ箱に大量に捨てたことが、お取引先様にバレまして。当然トラブルになったんですよ。バレたというかあってはならないことだと私も思いますが。
それで、私がそのトラブル案件の担当に交代になりました。結果的に物件を全て売り切りました。売り切ったことでなんとかトラブルを収めてもらったのですが、私としてはそれが自信になりまして「他の人が売れない物件をこれだけ売れるのならどこに行ってもやっていけるな」と。であれば会社から飛び出してみようと思っていた時期はありましたね。
でも、その後トラブルになった取引先さんから、物件を売り切ったということで呼び出されて、会食をさせてもらっていたときに「これだけ売ってくれたから次は芦屋の144戸の物件を任せたい」と新しいお話を頂きました。難しい案件ではあったのですが、これも大きく儲かる案件だったので受けまして。それも結局売り切りました。そんな感じで結局、次々と仕事をしているうちに、会社を辞めて、社外で力を試してみようという考えは流れていきました(笑)
倒産を防ぐ特殊部隊として陣頭指揮
セイクレストはマンションの販売代理業なので、物件が売れないとオフィスの賃料や人件費、交通費などの固定費がそのまま赤字になる構造の会社だったんですね。倒産する数年前から会社の負債が大きく厳しい状況でした。その最中に、枚方の御殿山の案件が引き金でさらに危機的な状況に陥ったんです。
御殿山の案件は、広島の業者さんにセイクレストから70戸を企画提案し、一度仕入れしてもらい、セイクレストが販売代理をするのですが、売れなかった場合は買い取ることが約束された案件でした。管轄は広島なので、当時のセイクレスト広島支店の営業マンが販売に乗り出したんですけども、70戸中6戸しか売れなかった。ということは64戸をセイクレストが買い取らないといけない。これはやばい、会社が倒産するぞと。
一方で、この64戸を売り切れば、当面会社は乗り切れるという見込みもありました。そこで、私が部下5名とともに特殊部隊的に販売をすることになりました。見込みとして、歩留まり10%と考えたら、64戸を売るために640組を呼んで営業すればいけると思ったんですが、そんなに甘くないだろうと。それなら最低でも1000組呼ぼうと。それで少ない時で週50組、多い時で週100組を呼んで、64戸を売り切ったんです。それはもう全員休みなくやりましたよね。一緒にやってくれた5人の部下には、私から社長に言ってインセンティブをしっかり払ってもらいましたね。
上司の恩情で倒産前に退職へ
ただ会社の実態としては、御殿山の案件を処理しても見通しはまだ厳しかったんです。そのため、東京・名古屋・広島など大阪本社以外の拠点を全て閉鎖し人員を削減、社用車を解約するなど大小含め様々なコストカットに乗り出しました。それでもまだ会社の負債は大きく、会社の資金繰りは危機的な状況でした。
そんな状況で上司の役員から「このままだと半年後には給料が払えなくなる。平石、今なら退職金でるから今のうちに辞めたほうがいい」と諭されました。「その代わり何人か従業員を連れて行ってほしい」と言われまして。御殿山の物件を売り切った結果、他の社員の給料がしばらく払えることになったので、せめてもの恩情だったんでしょうね。
それで部下5人連れて退職しまして、そのまま平石総合商事に戻っても良かったんですが、退職したときに、私を信頼してくださっていたお得意先様から販売代理のお仕事を頂きまして、それであればということでそのまま独立して仕事を受けることにしました。当時の上司やお取引先様、どんな状況でも見ている人はちゃんと見ていてくれているんだなと思いましたね。