全日本不動産協会 大阪府本部 北支部
有限会社ICHIJO 取締役
南城 美由紀さん
物件の目利きセンスを実感した幼少期
私は「家を見ること」が好きな子供でした。それだけ聞くと変わった子供ですよね(笑)そうなった理由はちゃんとあって、私の親が「家主業」をしたいと、5歳くらいから親に連れ回され色々な物件を見ることが多くて、だんだんと興味を持ち始めたんです。その生活が中高生くらいまで続いたこともあって、興味が決定的になっていきましたね。
結局、私の両親はどの物件も買わず、その後経営していた会社で不渡りを出してしまい、苦労していました。子供ながらに「あの時、物件を買っておけば」と思ったことを今でも思い出しますし、なにより私が「ここは値上がりしそうだから」「良い物件だと思う」と意見を言ったことがその通りになることが多く「自分のほうがセンスあるな」と感じたことも印象的な出来事でしたね。
女性が不動産に携わるのが珍しい時代
社会人になり、どうしても不動産の仕事に就きたいと思っていたのですが、当時は女性が不動産に携わるのがまだ珍しい時代でした。そのため、正面から攻めてもダメだなと思い、チラシが入っていた30社に飛び込み面談をお願いしました。それでも全て断られまして…「これは自分でやるしかないかも」と思ったのを覚えています。
その後も粘っていると、幸運にも1社だけ不動産会社から内定を頂き入社できることになりました。その会社でも、私は大阪2人目の女性営業という状態でしたね。当時は、子育てしながら働いていましたから、楽しい半面ハードではありました。それでも不動産業界で一歩を踏み出せたことは嬉しかったですね。
詐欺にあい借金を抱える
不動産の会社を退社し、保険会社で営業をしながら資金をため勉強を重ねていきました。この頃に縁があり、ミナミのラウンジで雇われママにならないかと誘われました。その内容が良い条件で、資金を貯めたかったのでお引き受けしたんですね。でもそれが間違いでした。
そのお店は既にあるお店だったのですが、出勤初日、私が呼んだお客様以外、他のお客様がおらず、お店側の雰囲気もなにか変でした。頂いたご祝儀はお店のオーナーに全てもっていかれて金額も教えてもらえない。これはおかしいと思い、お客様にご相談したところ「それはオープン詐欺だ」と言われ、2日目には警察に相談し、早々に辞めることになりました。
でもこのままでは終われないと思いました。来て頂いたお客様にも申し訳ない気持ちがありましたし、このままでは汚名返上できないと。それで借金をして自分のお店をオープンすることにしました。詐欺にあったとはいえ、初日で売上がかなり上がりまして。借金は返せるという自信が逆についたので(笑)
家主業と2足のわらじ、リーマンショックを回避
お陰様でオープンしたラウンジを経営しつつ、やっと資金が溜まり、念願の家主業をはじめました。最初は競売の物件からはじめました。1件目の物件でたまたま落とせたので運が良かったですね。そこからは、しばらく2足のわらじの生活でした。
ラウンジのお客様に不動産業界の方が多かったので情報を頂けていたのと、やっぱり物件を見るのが好きなので、その頃は海外不動産を見に行ったりしている中で、後のリーマンショックが来そうだなと思っていたので、ラウンジはご縁があった方にお譲りしました。その後、本当にリーマンショックで世の中大変なことになりましたからタイミングが良かったのかもしれません。

あと、当時を思い出すと、保険会社でも働き、子育てもしつつ、ラウンジを経営してと、すごい生活をしていましたね。毎日の睡眠時間が3時間でしたから、2足のわらじを長く続けるのはどちらにしても難しかったですね。そこからは家主業・不動産業として今日に至ります。
紆余曲折ありましたけど、好きだから続く、大好きなことをとことんやる、失敗してもそれは成功への道筋だから何度も起き上がる、困難なこともチャンスだと思う、これらの言葉を胸に刻んで歩んできました。これから独立を目指される方にも伝われば嬉しいですね。