全日本不動産協会 大阪府本部 なにわ南支部
株式会社ダイタク 代表取締役
児玉 有加子さん
不動産業者は嫌いです
私の父は、不動産会社を経営者でした。開発の仕事いわゆる地上げ屋でした。バブル期だったので生活がとても派手で虚勢を張って私はそんな父親が嫌いでした。こんな不動産業者はとても長続きしないとも思っていました。
私は12年前くらいに、夫と交代して株式会社ダイタクという不動産会社の社長になったので、自分で開業したわけではないのですが、開業にあたって協力はしていました。それまでは来客時にお茶を出す程度で専業主婦でしたから、町内会の女性部長やPTA役員の任について、ささやかながら福祉活動などをしていました。
交代した理由は、夫が肺気腫になり長時間働いたり話したりすることが難しくなってしまったからで、私にとってはまさに青天の霹靂でしたね。
自分は営業に向いていると気付く
私はバブルの前に、今は亡き日本長期信用銀行大阪支店外国為替課銀行員としてキャリアをスタートしました。その後、1度目の結婚・離婚を経験して、子供1人を抱えるシングルマザーになりました。前夫はバブル時代に宅建士に持っている人で、それに負けたくないと思いまして(笑)離婚した年の10月に合格しました、30年前ですが宅建士を取得出来ました。これが後々生きてくるとは微塵も思っていませんでしたね。
その後、お菓子メーカーで事務として働いていた時代もあるのですが、転機は、山之内製薬という会社に営業として入社したことでした。中途採用でしたが200人以上の応募者から母子家庭でありながらたった一人の採用でした。大阪本社で二週間の研修と東京本社で一週間の研修を経て車を使っての営業です。
仕事はルートセールスで、此花区から河内長野市までのエリアの薬局に1日10件以上、毎日回って薬品等を仕入れて貰うというものでした。結論からいうと私は営業にすごく向いていたようで、楽しかったですね。入社して新商品を半月で半期分のノルマを達成しまして(笑)東京本社で全国の営業全員の前で表彰されました。でも先輩方からの風当たりは強かったですね。
夫が不動産会社で独立
夫が43歳の頃、会社を退職してきまして(笑)そして不動産会社を開業しました。夫も直ぐに宅建士に合格してそこから11年くらいは夫が経営していました。私はその間、専業主婦としてのんびりしていました。それが冒頭にお話した突然の出来事で、本当に焦りました。当然バタバタしますし、経済的にも切羽詰まりました。さらに社長交代となるわけです。
ここで30年前に取得した「宅建」が役立つ瞬間が突然きました。あまりにも突然すぎますけど(笑)とはいえ宅建をとったのが30年前ですから、今の不動産業がどうなっているのか、特に法律関係が全くキャッチアップできていないので、これが一番困りました。
そこで、入会していた全日の研修にできうる限り出席して、勉強し直すことにしました。役に立つものばかりでした。お客様に満足頂ける知識を身に付けたい。その一環で毎年1つずつ不動産関連の資格を取得しようと決めて、賃貸不動産経営管理士、宅建マイスター、不動産コンサルティングマスター、相続対策専門士の資格は取得しました。今では子供たち二人とも宅建士です。我が家は全員宅建士なんです。

夫が創り、今は家族全員で経営しているこの会社は、いわば「街の不動産屋さん」。大手の不動産会社もたくさんある中で、私たちが存在し続けるためには大手の不動産さんには出来ない接客を心がけて、知識を蓄え人格も磨く事も必要です。「ここに来てよかった」「親切で優しい」「正しいことを伝えてもらった」とお客様にそう感じてもらえる接客や仕事をしている事は当然です。世の中や人のお役に立てる不動産屋になりたいと思っています。
私はお客様がお帰りの際には「心は楽になりましたか?」と必ず聞いて、笑顔で事務所の外までお見送りさせて頂くようにしています。