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自宅を購入するつもりが、成り行きで購入した「収益不動産」その経験が独立につながる|中村 佳代さん

2026年8月19日

全日本不動産協会 大阪府本部 北支部
株式会社You&Me
代表取締役 中村 佳代さん

看護学校に通うも、最終的には「助産師」に

私は元々、建築した建物や家の間取りに興味があって、折込広告や不動産広告をよく見ている子どもだったんですよ。レトロな建物、大正ロマンの建築なんかも好きでしたね。ただ、それはあくまで個人的な嗜好で、まさか自分が最終的に不動産屋になるなんて、社会人になった時ですら全く思っていませんでした。

私のキャリアは医療の世界からスタートしました。大阪の看護学校を3年で卒業して、鳥取県にある保健助産学科に1年行きました。看護学校に行っていたものの、当時は「看護師は体力的にも精神的にもしんどくて自分には無理だな」「別の仕事はないかな」くらいに考えていたんですが、問題がありました。

実は、奨学金をもらっていたんですよね。奨学金も「もらえるなら、もらっとこう」くらいに考えていたんですけど。本来はお礼奉公しないといけないんですよね。だから、看護師はちょっと違うかもみたいな話をした時に、先生から「ちょっと待て」と止められまして(笑)そこから先生が色々と考えてくれて「保健師ならどうか」と。それならいけそうかなと思って、卒業後に保健助産学科に進学しました。

進学先の保健助産学科がある学校は鳥取の倉吉にあって、田舎でしたけど、のどかで寮生活も楽しかったですね。米子や鳥取にもよく遊びに行きました。助産師の課程は、当時は10例(10人)とりあげないと卒業できないんですけど、私の10例目(10人目)がなんと大晦日だったことも思い出です。

こんななりゆきで、助産師からキャリアをスタートさせました。「看護師は体力的にも精神的にもしんどくて自分には無理だな」と思ったところから、先生の勧めもあり助産師になったわけですが、助産師もかなりの激務でした。

「産直」といって、朝から夕方まで日勤があり、夜は出産立ち会いと、ほぼ24時間働いているような状態。さらに分娩室は常に修羅場でトラブルの連続ですから、20代前半なのに昼夜逆転の生活で体調も崩してしまって、御礼奉公の期間満了の3年で助産師を退職しました。でも、当時は第二次ベビーブームの頃だったので、3年間で300人くらいはとりあげましたね。

その後は、企業で保健師として20年勤務しました。20年のほとんどは大手電機メーカーの保健師としての勤務です。保健師は自分に向いていたし、このまま保健師としてキャリアを全うしようと思っていました。この時点でも、不動産の「ふ」の字もないのが分かっていただけるかと思います(笑)

持ち家を探していたはずが、なぜか収益物件を買っていた

転機は39歳の時です。「自分の家がほしい」「買いたい」と思って、ネットで「これいいな」と思った物件があったので不動産屋さんに電話したら、「これは収益物件ですよ」と言われたんです。

私は持ち家を探していたので断ろうと思ったら、職場を聞かれて。当時の勤務先が大手電機メーカーだったのもあって、勤務先を答えたら「あなたこれ買えるから」と言われて、なぜか申し込みを入れてしまったんですよ(笑)結局、その物件は私が2番手で、1番手の人が購入されたのでダメだったんですけど、それからその不動産屋さんからどんどん連絡がくるようになって、気付いたら収益不動産を購入していました。

購入したのは京都の物件だったんですけど、当時は表面利回り14〜15%とかの時代。銀行が収益物件への融資に注力している時代だったので、融資もしてもらえました。ちなみに肝心の持ち家は、今の今まで買わずにきています。今も賃貸に住んでいるんですよ(笑)

購入した物件は、5階建てエレベーター付き駅近のSRC造。1階は法人が入っていて、2階以上は2SLDKのファミリータイプでした。ただ、購入したものの、わけがわからない状態で。素人なんだから当然ですよね。

不動産屋さんから「うちが管理するからね。資金回収を自分でやるなら5%、こっちでやるなら7〜8%」と言われて、安い方がいいなと思って5%にしたら、翌月から自分の通帳に知らない人からお金が振り込まれるようになった。いわゆる家賃収入ですよね。「これはすごいな」と思いました。

そうしたら今度は、500万円程の不動産取得税の通知がきて。ビックリして「いちサラリーマンに500万円なんて払えない」「聞いてないです」って税務署に電話したら、「融資を受けたということは、払えるということなんです」と言われました。私が当時、本当になにも知らなかったことがお分かりいただけるんじゃないかと思います(笑)

「人任せにせず、自分でやってみよう」と宅建を取得して独立

その後も、テナントに入っていた法人さんが撤退し、3階の入居者が夜逃げし、5階の人がクレームをつけて家賃を払わないと言い出して。これ、買ってから数年の出来事です。こんなことが立て続けに起きたことで、いきなり怖くなってしまって、その物件はすぐに手放しました。

それでも収益不動産の魅力は感じていたので、この物件以外にも購入を続けて、一時期は、最大で4億円くらい借入をしていました。1棟目を買ってからも5年くらいはサラリーマンとして勤務を続けていましたね。

ただこの時、管理は管理会社に丸投げで、何を言われても全て「はい、はい」って答えていたんですよ。リフォームの提案も言われるがままやっていました。でも、管理会社とのやりとりの中でどんどん疑問が増えていって「自分で理解しないといけない」と思い出したんです。

当時はサラリーマンの副業でしたから、管理会社の存在には助けられていた部分が大きかったのも事実で、恨みがあるとかそういうことでは全くないんですけども。このままではいけないなと。それで、宅建士の資格を取得することにしました。

ちょうどその不動産管理会社からも「法人化して法人で物件を持ったらどうか」というような話もされていたので、ちょうどいいタイミングだなと。この時点で収益不動産を3つくらい持っていたんですが、宅建の資格をとる過程で「不動産業も面白いかもしれないな」とも考え始めました。

宅建は2回目の受験で合格できたので、人任せにせずに自分でやってみようと思って、勤めていた会社をやめて、思い切って不動産業で独立したわけです。振り返ると、子どもの頃に間取り図を眺めていた自分が、まさか本当に不動産屋になるなんて、人生とは不思議なものです。

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