全日大阪 広報メディア

私の不動産独立ストーリー

板前から成り行きで不動産の世界へ|中筋 一徳さん

2023年3月28日

全日本不動産協会 大阪府本部 中央支部
株式会社リファインド 代表取締役
中筋一徳さん

不動産とは無縁の10代

私は元々、不動産になにか興味があったわけではありませんでした。中学校を卒業して人力車の車夫をやったり、土木作業の仕事をしたりして、19歳で不動産の仕事をはじめました。不動産の仕事をする直前は、板前をやっていましたね。今思えば、成行きというか流れに身を任せて、そんな10代でした。

不動産の仕事をすることになったのも、板前として努めていた会社が、私の働いていた飲食店舗を他社に売ることになりまして。それで社内に不動産事業部があるので転籍を勧めて頂き、そういう経緯でした。板前の仕事は結構好きで、続けたい気持ちもあったんですが、既に結婚して家庭があったのでどうしようかと。悩んだ結果、転籍することにしました。

板前時代には得られなかった楽しさに気付く

転籍してその事業部で働くのかなと思いきや、大手不動産会社に出向してこいと言われまして(笑)勤めていた会社が不動産の販売事業を拡大させようとしていたので、人材育成も兼ねてというのが理由だったようです。それが2003年、2004年頃のことだったかと思いますが、その当時って「不動産が売れない時代」だったんですよ。その中で、若手がシャカリキに営業して売ってきます、という感じでしたから重宝されましたね。結局、新築販売から建て売り、仲介、色々経験させてもらえました。周りの人に恵まれてラッキーでした。

それに不動産の仕事をやってみて楽しかったんです。板前って職人の世界なので、視野が狭まるんですね。自分の目の前のこと、自分のことだけになって、目に見える変化も少ない。変な自信やプライドばっかり付いてしまうんです。不動産の営業だと、目に見えて成果が出るので楽しかったんですよね。

ただまあ、固定給+ボーナスという一般的な会社でしたので、同世代より年収を頂けている事に感謝していたものの、不動産が稼げる仕事だという認識もその時点では持っていませんでした。でも今になって思えば、若いうちから「儲かる」と歩合を追いかけずに、不動産業に向き合うことができたので良かったなと思いますね。

独立当初は極貧生活

その後、諸事情ありまして28歳で勤めていた会社を辞めることになりました。その際、取引先の方から「独立した方がいい」とお声がけ頂いたり、部下も付いていきたいと言ってくれたこともあり、独立することにしました。お話を聞いて頂いて分かるように、それまで自分自身で独立したいと強く思ったこともなく、周りの人に恵まれてチャンスをもらった、というのが正直な独立の経緯ですね。

そういう経緯なので、独立に向けてお金含め準備していたわけでもないし、個人的な事情が色々なことが重なりまして。しかし部下2人が付いてきてくれた以上、前職と同じ金額の給料は払わないといけないなと。そんな船出でした。

独立した当初は、お金もないし住むところもないので、1泊500円〜1,000円で泊まれるような安宿に泊まっていて、さすがにそれはマズイと部下に言われ、事務所にベッドをおいて寝たりしていました。極貧生活でしたね(笑)

仕事はレインズ物件に掲載されている中古物件のオープンハウスからはじめました。知り合いに輪転機を借りてチラシを刷って配って、部下の給料を払うためにとにかく売りました。独立した頃(約10年前)は不動産の値段が上がっていた時期でもあったので、それもラッキーでした。それでも営業車は知人から15万円で譲ってもらい、高速道路の料金が払えなかったので下道で全部移動していましたし、部下の給与はなんとか払えていましたが、私自身は半年給料がとれませんでした。

そんなドタバタなスタートでしたが、それでもなんとか事業を継続することができまして、独立から11年が経ちました。今は仲介、買取、分譲、リフォームと領域を広げることができています。仕事の成果で報酬を得ることが出来る魅力を感じられたのも、独立できたおかげです。

極貧生活みたいな話をしましたが、それでも他の業界に比べれば、不動産は初期投資が少なく利益率がよいビジネスだと思います。これが不動産の良いところですよね。だから私も軌道に乗せることができたとも言えますし。独立を目指す方には「やろう」と思ったときに、迷わず行動を起こしてほしいと思います。

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