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独立・開業

破天荒な父に振り回され「自分でやるしかない」と腹をくくる|冨田 遼さん

2024年10月21日

全日本不動産協会 大阪府本部 なにわ南支部
梢不動産株式会社
代表取締役 冨田 遼さん

塾講師で子ども達から人気を得る

新卒キャリアのスタートは塾講師でした。私は独立するまで不動産会社には勤めたことがなく、高校生の頃は保育士を目指していました。高校3年からピアノを習いだしたりして本気で目指していて、高校卒業後は保育の専門学校に進学するのもいいなと思っていたのですが、父から「少子高齢化になるから稼げないぞ」と言われまして、とりあえず大学に進学したという感じでした。

塾講師になったのは、保育士を目指したのもそうですが、やっぱり子どもが好きだったからです。内定をもらった中で、やっぱり一番惹かれましたね。自分の世代は「就職”新”氷河期」と呼ばれていたのもあり、就職活動も「ゆっくりしてたらまずいな」と思ってインターンシップを50社とか大量に受けまして(笑)色々な業種を見て、1ヶ月で内定3社もらって決めました。

新卒で入社した進学塾で塾講師としてキャリアを歩み始めて、最初はとても順風満帆でしたね。中学・高校受験の進学塾だったので、小・中学生を見ていましたけど、3ヶ月に1回行われる授業評価の内容がとても良かったんですよ。「この先生の授業を受けたいか」という質問に、生徒350人中349人が「YES」の回答でした。だから当時の初任給が20万くらい、それが3ヶ月目には月給30万くらいになっていましたね。

法律事務所に転職するも半年で解雇

恵まれた塾講師生活でしたけど、だんだん将来に不安を感じるようになりました。月給や賞与がどんどん上がり満足感もある一方で、実働の時間が長くて、それを時給換算すると数百円くらいにしかならない。それと生徒って若い先生が好きなんですよ。だから若い先生の方が評価されやすい側面があって、逆に歳をとると年収が下がっていくのが、周りを見ていてなんとなく分かってくるんです。

そんな不安もあり将来を考えているタイミングで、知人が働いていた法律事務所に誘われたので、転職することにしました。仕事は会計・経理担当でした。入社して分かったんですが、この法律事務所は刑事事件ばかり取り扱っている事務所だったんですよね。ご存じの方もいるかもしれませんが、刑事事件って(一部の事件を除いて)ほとんどが儲からないんです。結局、半年くらいで事務所の経営不振で解雇。社会に出て2年ちょっとでこれですから、人生終わったと思いました(笑)でも刑事事件専門かつ被疑者側の弁護を取り扱っている事務所だったのでメンタルは鍛えられましたね。

それで職探しをするためにハローワークに行ったところ、税理士法人の求人を見つけました。大学進学前に簿記の資格は取得していましたし、大学で税理士を目指して勉強したことも思い出して、応募することにしました。それで有り難いことに内定をいただけて就職するに至ったんですが、この頃はまだ若気の至り全開で尖ってましたから、入社早々上司に噛みついたりして(笑)それでも仕事をけっこう任せていただけて、その後は下の子も入社してきたので中間管理職のようなポジションで仕事をしていましたね。

「そういえば父も社長だな」

税理士法人では2年くらい働きました。働きながら税理士を目指して専門学校にも通っていたんですけども、やっぱり働きながらだと中途半端な勉強しかできず。さらに、大学卒業時に税理士試験をパスしてるような優秀な後輩が入社してきまして。「ここから5年かけて合格しても彼と同じスタートラインか」と考えると、現実的ではない気がして、税理士を目指すのはやめました。でもこの後輩の子とは今でも交流があって、当時はタッグを組んでいろんな案件に取り組みましたね。

税理士法人で働く中で、別の心境の変化がありました。税理士法人にいるとクライアントの経営者・社長に会う機会が必然的に増えていきますよね。だから当時は「社長・経営者ってすごい」というモードになっていまして、そこで思い出したのが「そういえば父も社長だな」と。私の父は広告代理店の会社を作って、不動産業もやっていましたから。それで父と飲むタイミングがあったので、色々聞いていたら「お前に会社1つやるからうちでやれ」と言い出したんです。

じゃあ飛び込んでみるかと思って父の会社で働き始めたんですけども、フタを開けると父の会社は火の車だったんですよね(笑)私の働く条件も月10万の給与で交通費・社会保険なし。その代わり、成約したら歩合があるからと。父も不動産業で働いた経験なしで不動産事業をしていたので、私もそこでゼロから不動産事業を始めたんですよね。それが不動産業との出会いでした。

給料は少ないものの、歩合でもらえるという話しだったので、未経験でしたけど2ヶ月に1回くらい成約を決めていました。でもその歩合分を渡すときに「なんでお前にやらなあかんねん」と父がどんどん不機嫌になるようになりまして。それでも父の会社を立て直したいなと思って、新しい施策とか色々と提案していたんですが、父は全然受け入れてくれなかったですね。

破天荒な父に振り回されて

そんな状況でしたから生活も苦しいままで、ある時、父に「夜に飲食店でバイトする」と言ったんです。正直「それなら給料上げたるわ」くらいの返事があると淡い期待もあったんですけど、父は「そうかバイトするんか、それなら面接に送ってったるわ」と言い出しまして。挙げ句の果てには私が面接を受けている間に寿司を食べていて「飲んだから帰り運転してくれ」というような有り様でした(笑)良く言えば破天荒ですけど、実はお取引先様からも「お父さんはやめとき」と言われるような人でしたから。

父と働き出して半年くらいですかね。私以外に1人父の会社で勤務されていた方がいらっしゃったんですけども、その方と私が父に呼び出されて「お前ら明日からこんでええ、出ていけ」と言われて解雇されたんです。この時はさすがに泣きましたね。でも自分よりも、もう1人の方は年齢も50代で「本当にどうしよう」という感じ。いきなり解雇になってご家族もいらっしゃるのに、給与も社会保険もなくなって。

その方に私もお世話になっていましたから、それで「自分がやるしかない」と腹を括ったんですよね。それで当時からお世話になっていたお客様に頭を下げて、テナントの一画を貸してもらい、父の部下だったその方と不動産会社を新しく始めました。それが独立の経緯ですね。実はテナントを貸していただいたお客様は「お父さんのところを離れてうちで働きなさい」とずっと声をかけてくれていた方でしたから、父から追い出された時は「言わんこっちゃない」と(笑)にも関わらず、仕事もいただけて、その方の助けで会社を軌道に乗せることができました。

振り返ると、むちゃくちゃな父の元で、その方からいただいた仕事を一生懸命やっていたことが評価してもらえたんだと思いますし、不動産競売の仕事は税理士法人や法律事務所で働いた経験が活きました。あと父は、今では僕に気を使ってますね(笑)たまに「商談同席しようか?」とか言ってきますし(笑)少しは認めてくれたのかもしれないですね。

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