全日大阪 広報メディア

私の不動産独立ストーリー

高校時代の三者面談から始まった独立への道|谷 吉哉さん

2023年4月5日

全日本不動産協会 大阪府本部 中央支部
株式会社ゼクラス 代表取締役
谷 吉哉さん

三者面談で気づいた自分の興味

高校生の時、三者面談で先生に「将来なにになりたいんだ」と聞かれ「不動産屋になりたいです」という言葉が口をついて出たのを今でもよく覚えています。高校生の頃から、将来は独立して社長になりたいなと思っていたんです。でも業種までは考えていませんでした。

なぜそんなことを言ったのか思い返すと、母親が家で宅建の資格勉強するのを見ていたからかなと。本当にそれくらいなんですが「直感的な本音」として不動産に興味があるんだなと自己認識した瞬間でした。それで高校を卒業して、大阪の不動産会社に就職しました。貸店舗の仲介をしていた老舗の会社でしたね。合計8年半勤務しました。

見つけた仕事のやり方

入社した会社はフルコミットの会社だったんです。最初の1年は固定給がもらえるんですが、2年目からはそれがなくなるので、生活は苦しかったですね。まだ全然契約がとれなかったので、給料はほぼなく、家賃の支払いも遅れるし、ガスも電気も止まったりしました。会社では仕事も教えてもらえないし、辞めようかなとずっと考えていました。

でもこのまま辞めるのは悔しいし、「俺まだ本気出してないし」くらいの若いからこその軽いノリがまだあったので(笑)とはいえ、会社でやることがないので、夜11時くらいまで毎日ずっと物件資料を作っていたんですよ。

そうやって物件資料を作っていると、段々いろいろな物件の内容を覚えてくるんですよね。そうすると、お客さんとの商談で気後れしなくなってきて、逆に提案や交渉の主導権を握れるようになってきたんです。それで契約がとれるようになりました。それが3年目のことでした。そこからは仕事も楽しくなって、勤務先の社長が引退するまでは、このまま働こうかなと思っていた時期もありました。

雇われ社長で気付いた「自分の看板」の必要性

その後、知人からの誘いも有り、雇われ社長のような形で違う会社で不動産の仕事をはじめました。前職はフルコミットだったことも有り、給与もそれなりにもらっていたのですが、全部使ってしまっていたので(笑)自分で開業するための貯金もあまりなく、でも同じ仕事をするなら不安もないし、渡りに船だなと思いまして。結局5年くらい働きましたね。

5年間の中で、自分の名前で商売をしないといけないかもと思った要因として一番大きかったのは、お客さんに対して不安を与えてしまうことがあったということですね。お客さんからすると「君から物件借りて大丈夫なん?自分はどういう立ち位置なん?」と聞かれる方も事実いらっしゃったので。あとは自分の会社じゃないと、融資を受けて会社を大きくするという意思決定もしにくいですしね。

それで今から13年前に独立しました。タイミングとしては宅建に合格できたことがキッカケになりましたね。こうして振り返ると、家で宅建の勉強をしていた母に感謝ですね。ちなみに母は、勉強はしていましたけど、結局試験も受けてないんじゃないかな?(笑)

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